2021年3月4日木曜日

産んでくれてありがとう

  こちらで度々書かせて頂いた母が、2月26日に亡くなりました。朝と昼は少量の食事を取り、夕方、健康飲料水を一口飲みこみ、その後は同居している姉が同じ部屋にいても気づかない位、眠るように99年5か月の生涯を閉じました。

 母は、漁師の家の12人兄弟の第1子として礼文町で生まれ、10歳で樺太に渡り尋常小学校を卒業後、すぐに住み込みの奉公に出ました。

 母が認知症になってからの口癖は「家に帰る。兄弟の世話をする」でした。 

 母は、「奉公先の人達はみんないい人だったよ」と、よく私達姉妹に話していたものですが、お正月位しか実家に帰れない奉公は、12歳の母にとって言葉に表せない程の寂しさだったに違いありません。

 母が「帰る帰る」と言うと、姉は「もう船が出てしまったから、明日帰ろうね」などと言うと、うなづく母でした。お酒の好きな義兄は、毎晩晩酌をしながら母の話し相手をするのが日課でした。母を大事にしてくれた姉夫婦には感謝しかありません。

 そして、その姉を支えたのが、2月17日まで通った週に二回のデイサービスと、具合が悪くなったらいつでも往診してくれる病院の存在でした。

 母さん産んでくれてありがとう。お世話になりました。

(3月1日 記)