2018年12月21日金曜日

真っ赤な手

 師走の大通公園のお昼、札幌市議団と予定候補の宣伝がありました。
 
1時間の宣伝でしたが、公園の上を突き抜ける風がさすがに冷たかった。


 

 憲法、沖縄の米軍基地、消費税など国政問題から、子どもの医療費、障がい者、福祉灯油と市政まで。さらに行政区の独自課題と、一人ひとりの訴えに共感したり、感心したり、通行人に手を振っているうちに、1時間が過ぎました。


 車から降りて、写真をお願いしていた清田区の青年にスマホを返してもらったとき、青年の手が真っ赤なのに気がつきました。
 良い写真を撮るために、ずっと手袋をつけずにいたことが分かりました。
 「清田区新聞」やフェイスブックなどで、この写真を見つけた時、その事を思いだしてくれたら、嬉しいです。

 
 今年もあと少し。今年の流行語大賞「そだねー」は私のまわりでも一時期よく使われ、場を和ませてくれました。
 
 安倍政権による悪法の強行に次ぐ強行で、国会の軽視と劣化は目を覆うばかりですが、悪いことばかりかというと、そうでもありません。
 野党が力を合わせ、沖縄県知事選の勝利を勝ち取り、安倍首相の改憲の企みを断念させた一年でもありました。
 
 みなさん、どうぞ良いお年をお迎えください。

 「そだね~」

(12月18日記)

2018年12月13日木曜日

「ごく一部」でも助かるんだよ!

 一週間が矢のように過ぎ、市議選まで108日となりました。
 
 先週木曜日、市議選候補のマスコミの写真撮りがあったので、朝の宣伝の後、知人の理容店で「顔そり」をして、市役所本庁に向かいました。
 
 どうしてもカメラに向かうと、顔がこわばります。怖い顔になっていなければいいなあと思いながら、会場を後に、大通りの地下街で、昼食のおそばを頂きました。
 
 午後は、東区選出の平岡大介市議の代表質問を傍聴。

 市長の政治姿勢に始まって、都心アクセス道路、防災、子育て、暮らし、高齢者、障がい者支援など、多岐に渡る勢いのある攻めの質問でした。

 市民に冷たい姿勢があらわになったのが「福祉灯油」に対する答弁です。

 「灯油高騰は死活問題。道96市町村が実施。低所得者や高齢者、障がい者など最も弱い立場の市民に配慮し、実施すべき」と平岡市議が質問。
 
 市の答弁は「福祉灯油は、支給事務に多額の経費を要するものの、給付を受ける側にとっては、冬期間の暖房費のごく一部にとどまることから、施策としての実効性が高いとは言えないため、実施は考えていない」とのことでした。

この市の態度を報告すると聞いている方から、いつも決まって言われます。「『ごく一部』でも助かるんだよ!」

(12月12日記)

2018年12月6日木曜日

清田区演説会

 事務所開きから6日目、清田区演説会が開かれました。
お集まりいただいた皆さんには、感謝の気持ちでいっぱいです。


 演説会開会の10分前に司会のNさんが、私のところに駆け寄ってきて、「吉岡さん、時間ある?」というやいなや、みるみる私を変身させました。実は彼女れっきとしたメーキャップアドバイザー。最後に鮮やかな口紅と「目力(めぢから)」効果のお化粧で完成。これほど本格的にお化粧した演説会は初めて。


 今回の演説会は、4月の市議選勝利と、参院選でも躍進し、安倍政権をノックアウトするための第一歩です。
 私は家族や生い立ち、候補としての原点や、来年の市議選にむけての決意を率直に述べさせていただきました。 

 はたやま和也さんは領土問題から消費税、外国人労働者の問題などを縦横に、ユーモラスにお話しくださいました。


 数日後、参加者から一枚のハガキが届きました。
「吉岡さん、いつも大変で苦労な事と思うのですが、いつ会ってもニコニコ、丸々として、やつれたりやせたりしていないのが不思議です。たのもしいです」、そして風邪の予防を事細かく、6箇条にまとめて書いてくれました。

 文面を見て思わず吹き出し、そして心がほかほか温かくなりました。この心づくしが風邪予防の一番の特効薬です。 


(12月5日記)

2018年12月1日土曜日

日本共産党清田区演説会を開催しました!

12月1日(土)はたやま和也さんを迎え、来年の市議選と参院選の勝利めざす、清田区演説会を開きました。参加者とともに、奮闘と勝利を誓いあいました。


2018年11月30日金曜日

いよいよ明日、日本共産党清田区演説会を開催します。

12月1日(土)10時から日本共産党清田区演説会を開催します。
場所は平岡地区会館(平岡7条3丁目9ー25、生鮮市場隣)です。
お近くの方、ぜひぜひいらしてください。


2018年11月27日火曜日

清田区新聞(11月・12月号外)ができました!

清田区新聞(11月・12月号外)ができました! 
これから皆様のもとへお届けします。ぜひお読みください。



2018年11月22日木曜日

明日を拓こう

毎朝、ラジオのニュースを聞きながら、車でバス停前の宣伝に向かっています。

9時過ぎには、「音楽遊覧飛行」、お昼過ぎには「昼の歌謡曲」など、おなじみの番組も少なくありません。

ある番組で女性の歌が流れたときです。リリックソプラノでしょうか。高い声が澄んでいて柔らかく、心に染みる歌でした。

運転をしながら歌手「ハンザキ ヨシコ」という名をしっかり胸に刻み込みました。

半崎美子さんは札幌市出身のシンガーソングライター。長い間イベント会場などで全国を回っていたそうです。

その時の歌「明日を拓こう」のCDを、数日後とうとう買いに行きました。

10年ほど前に買ったCDは100円ショップのものでしたから、今回はかなりの奮発です。CDをかけながら夕食後に練習して、何とか歌えるようになり、新婦人の会のカラオケサークルを心待ちにしています。

しみじみとして、そして元気が湧いてくる歌です。

(11月21日記)



消費税は増税するな!

「コンビニから買ってきて家で食べるお弁当が8%?」

 それとも「店内で食べるお弁当が8%?」「そうだ」「いや違う」とにぎやかな議論の末、どちらが正しいか結論は出ず、「宿題にしよう」となりました。ある会議での、安倍政権が狙う消費税増税の軽減税率の紛らわしい話です。(正解は家で食べるが8%)

 安倍政権のもとで、家計消費は落ち込んだまま。消費税増税に加えて、実質賃金が18万円減、年金も減る中で暮らしは悪化しています。

 加えて、導入されようとしている「インボイス制度」は小規模業者イジメの典型。
 「インボイス制度」によって、免税業者は取引から排除されないように、新たな納税義務と煩雑な事務が伴う課税業者にならざるをえなくなり挙句の果てには、おおくの業者が廃業に追い込まれます。
 消費税増税に賛成の商工会議所も、インボイス制度には反対しています。

 そもそも消費税は低所得者ほど負担は重くなる国民いじめの税制ですが、今回の増税は何重もの庶民イジメです。
 その一方で、「アベノミクス」のもと、富裕層や大企業には空前のもうけが転がり込んでいるといわれます。
 
今、やるべきは消費税増税ではありません。

「消費税は増税するな!」の声を初冬の街に響かせましょう。

(11月13日記)



2018年11月13日火曜日

胆振東部地震から2カ月

胆振東部地震から昨日で2カ月が経ちました。
10月24日、全国災害対策連絡会の現地調査で、里塚の立ち入り禁止区域に入りました。水道管工事や、除雪ができるように道路工事が進んでいました。突き出た姿に衝撃をうけたマンホールはすでに撤去されるなか、大きく傾いた家屋はそのままで、何かを訴えているように感じました。
10月30日の夕方、里塚中央町内会長で復興の会会長も務める盛田さんは「これから雪の季節、除雪が心配。宅地の更地、かさ上げの費用、半壊の撤去費用の問題もある。市営住宅入居の受け付け期間も3月までの期間延長をしてほしい」と気がかりな思いを語ってくれました。
様々な人達が声をあげていますが、私たち共産党の働きかけで実現できたこともあります。「清田の液状化による崖崩れ」では、清田通のボーリング調査、民有地の崖地のり面の一部公費負担。どれも私たち共産党が粘り強く働きかける中で、札幌市が重い腰をあげたものです。
土砂撤去では最初「民有地に公費は出せない」と言われましたが、「被災者によりそって頑張る」と市は政府に申請しています。
声を上げることは決して無力ではない。「微力でもがんばろう」を合い言葉に、被災者とともに歩みたいと思います。
(11月7日記)


2018年11月4日日曜日

町内会館

朝のバス停前での行動で、車に向かって手を振ると、手袋をつけていても冷たく感じられる季節になりました。
毎日定時で外に出ると、秋の深まりと冬がそこまでやってきているのを感じます。
昨日、町内会館で老人クラブの「おしゃべり会」がありました。
テーブルには、煮物や漬物、黄色い菊の色も鮮やかな酢の物、お汁粉、お弁当そしてお酒などが並び、話も弾みます。
手作りの煮物は、男性二人が春に採った山菜を料理上手な女性が作ったもの。
参加者全員による3分間スピーチも、個性豊かです。その中で、「奥さんが3年前から入院している事を初めて皆さんに話します。一人暮らしなので、手作りのごちそうはとても嬉しい」と語った方がいました。私が「被災者の要望を行政に要望しても、思うようにならずもどかしい」と発言するとすかさず「当選しないとだめだぞー」と合いの手が入りました。
家に閉じこもる高齢者が多くなる冬はもうすぐ。町内会館は高齢者にとっての大切な居場所です。
地震のため、立ち入り禁止区域内にある里塚中央町内会館は、水道がまもなく使えるようになると聞きました。
一日も早く、住民の皆さんの居場所として復活される事を願ってやみません。
(10月31日記)



2018年10月30日火曜日

未来に続く道

昨日(10月20日)の学習会「マルクスNIGHT」に参加し、学習への刺激を受けました。
講演のタイトル「革命家マルクスと現代、そして未来社会へ」。お話は、神戸女学院大学教授の石川康宏さん。
今年はマルクス生誕200年。資本論が発行された1867年、北侮道はまだ「蝦夷地」と呼ばれ、翌年には明冶政府軍による江戸城の開城で江戸時代が幕を閉じました。
そのような時代に、マルクスは、資本主義を徹底的に研究しぬき、その弊害を乗り越えた先にある「未来社会」を示し、根本条件は労働時間の短縮だと言っていたのです。
1日5時間労働とか週に3日働けば生活ができるとか、自由な時間で自分の能力を伸ばし、社会の先を見る人も増えるといいますが、資本主義社会の枠で生きている私たちにとって、「未来社会」は非現実的に感じられる方も多いと思います。
マルクスは「資本主義は体内に『未来社会』をはらんでいる」ことを示し、石川先生は「『未来社会』はいまの資本主義社会と『地続き』のところにある」と指摘されました。
知事選などで、国家権力丸抱えの相手候補を打ち破った沖縄県民に連帯するということは、安倍政権を倒すことだと、石川先生は力を込めて話されました。この日が投票の那覇市長選では、3連続勝利を成し遂げました。
私たちも頑張らナイト。
(10月21日記)

2018年10月25日木曜日

樺戸集治館

国道36号線の早朝宣伝に参加し、急いで老人クラブの秋の日帰り旅行に行きました。
町内会館前を出発し、月形樺戸博物館を見学、沼田町ほろしん温泉で昼食をとり、道の駅には何カ所か寄り、帰りは5時近くになりました。

月形樺戸博物館からは、JR北海道が一部区間を廃止したいとしている札沼線の月形駅が見えました。
博物館は、3つの建物があり、その一つが明治から大正にかけて、39年間刑務所だった「旧樺戸集治館本庁舎」です。廃館後、町役場として使用し、1972年に博物館として開館しました。
樺戸集治館には、政治囚も多く、中には秩父事件の農民志士も収監されていました。
明治19年、国道12号線を作るために、樺戸集治館から500人の囚人がかり出され、わずか90日で、87.9kmの道路を完成させましたが、作られた道路の幅は2mだったため、すぐに三笠の空知集治館の囚人も加え改修工事に取りかかりました。
私たちの身近にある国道12号線が、明治の半ばに囚人や朝鮮人の苦役によって作られていた事を知りました。
その頃の清田区は、豊かな水源を活用し、開拓農家が米作りに挑戦していたのだろうかと、思いを巡らしながら、「採水地札幌市清田区清田」と書かれたミネラルウオーターで喉を潤しました。
(10月17日記)


2018年10月17日水曜日

めざす札幌の姿

10月2日、市議会代表質問で、小形かおり市議(中央区選出)が清田区の地震被害の問題を取り上げました。
罹災証明書発行の9割を超える世帯が、具体的な支援のない「一部損壊」であるとして、被害の実態にそくした本市独自の支援策を求めたことを受け、秋元市長は「今後も検討する」と回答。
また、9月13日の住民説明会で、「毎年地盤沈下していたが市は塗装の塗り直し程度しかしてこなかった」と住民から訴えがあったことを示し、「札幌市の対応に問題はなかったのか、2003年の十勝沖地震の液状化の経験を踏まえ、地盤調査の必要性があったのではないか」と追求しました。
市長は「液状化は地下水位が高く、土の粒子が細かく均一な地盤に、地震の強い揺れが加わって発生するものであり、日常の道路沈下とは事象が異なるものと考えている」と、実に冷たい態度です。
5日、「清田区交通問題を考える会」が市の「出前講座」を開き、「札幌市まちづくりアクションプラン2015」を学ぶ機会を得ました。「目指す札幌の姿」として、「人を大事にする」を原点に据えると書かれていました。
これから市議会では「地震対策」の突っ込んだ審議が始まります。被災した住民を「大事にする」よう働きかけ続けます。
(10月9日記)

2018年10月13日土曜日

緊急の政府交渉

9月27日、胆振東部地震に関する、党北海道委員会の緊急要請行動がありました。
紙智子参院議員が各省庁にアポイントメントを取り付け、畠山和也前衆院議員や東区の太田秀子市議らと参加。
集合場所の参議院議員会館から首相官邸前を通り、歩いて5~6分ほどで内閣府に着きました。内閣府では山下雄平政務官が対応。
私は里塚や清田の液状化被害の写真を示して、地盤調査や土砂災害・崖崩れ対策の救援を求めました。
参議院議員会館に戻り、国交省、農水省、経産省に要請。内容は多岐にわたっています。
国交省の担当官は宅地の土砂に対して「市が取ってくれれば国が支援できる」。急傾斜地崩壊危険区域指定の斜面の高さ5mの基準を見直してほしいとの要望については、「崖の中から土砂が吹き出るというのは初めて。国の事業を使えば支援できる。国の事業を使うのは市の判断」とこたえました。
昼食は参議院会館の食堂。赤旗記者が注文したカレーは、1分程で届きました。忙しい人達のために、早いのだそうですが、畠山さんは衆院議員当時、その時間も惜しみ手弁当を持参していたと話していました。
夕食は太田市議とむかわ町の北村修町議と羽田空港で一緒にとり、帰路に着きました。
解決の「鍵」は「札幌市の決断」だとしっかりと胸に刻んで。
(10月3日記)




「オペラのお稽古」

「オペラ」と言えば、庶民には手の届かない芸術というイメージを持っている私ですが、北野に住む後援会員の娘さん後藤ちしをさんが出演されるということで、一昨日観にいきました。
場所は教育文化会館小ホール、日本語上演というので安心しました。
上演したのは、「オペラのお稽古」というお話と、「スザンナの秘密」の2作品。どちらもドイツーコミックーオペラの傑作といわれているそうです。
後藤ちしをさんが主役を務めたのは、1909年初演の「オペラのお稽古」です。
伯爵家の召使い役のちしをさんの歌声はベルベットのよう、軽やかな身のこなし、豊かな表情で、私は瞬きを忘れるほどでした。
帰りの地下鉄車内では、知り合いがたくさんいて、感動したことなど賑やかに話しあいました。
おりしも24日夜、雲の間から時折光を放つ中秋の名月を見上げながら、家路につきました。
翌朝、「オペラ効果」でしょうか、身体が軽やかに感じられました。
明日は紙智子さんや畠山和也さんとともに、胆振東部地震の緊急の政府交渉に参加します。里塚・清田・美しが丘などの住民のみなさんの思いをしっかり伝え、訴えてきます。
(9月26日記)

地域を歩いて

私の住む街清田区で、重大な地震被害が起きている。避難所まわりや危険箇所の把握などをしながら、土木センターや清田区長あての要望に取り組みました。
13日夜に開かれた札幌市の「住民説明会」は、住民の怒りがあふれるものとなりました。
「早く応急措置を取らないと、住める家も壊れてしまう」「2~3年前、あまりに沈下がひどいので、河川を調べてほしい(と言った)。『問題ないですよ』と言われた」など、3時間半の間、質問が次々と続きました。
後日の訪問でわかったのですが、何度挙手しても指名してもらえず、途中で帰ったという方もおりました。
清田区委員会は15日から3日間、党道委員会が作成した「災害救助対策諸制度活用の手引き」を持って、被害の大きかった里塚をはじめ、清田や美しが丘510軒を訪問しました。
一人ひとりの状況も思いもそれぞれ違います。
北海道胆振東部地震から13日。地震の被害で日常の生活を奪われた方々は、余震が続く中で、家屋の倒壊の不安や、生活や生業への不安とたたかいながらも、新しい一歩を踏み出すために、自らを奮い立たせていることを、肌で感じました。
懸命に生きる人の背中をそっと支えることができれば何よりです。
(9月19日記)

道民みんなが被災者

「災害の少ない札幌市」という観念は全く覆されました。
6日未明の北海道胆振東部地震は、北海道観測史上初の震度7でした。
札幌市でも震度6弱を記録し、甚大な被害を受けました。
被災された皆さんにお見舞いを申し上げ、亡くなった方々やご家族のみなさんに心から、哀悼の意を表します。
突然の地震から6日たちますが、未だに停電、断水の地域もあります。スーパーなどの品揃えも不十分です。
高層住宅住まいの方は、停電によりエレベーターが使えず、給水が大変でした。
ただ「近所同士助け合って、つながりが強まった」という話も伝わっています。
8日に高橋千鶴子衆議や畠山和也前衆議、3人の道議らと、液状化により地盤沈下した重大な被害を被った里塚に入った時には「家を含む3軒は危険家屋の検査がされていない。私たちは除外されている」と涙ぐみながら訴えられました。党市議団通じてすぐに市役所に連絡し、家屋検査員を当日派遣できました。
6、7日の2日間で、避難所を8カ所訪問しましたが、小さい子どもの家庭、高齢者が身をよせていました。
液状化による地盤沈下やブラックアウト(大規模停電)、長期に及ぶ節電には、行政や北電などの責任も問われます。
(9月12日記)

台風の爪痕

ゆうべは、風の音で寝不足の方もいらっしゃると思います。私は、風の音を聞きながら寝入り、熟睡していたようで、アラームの音で目が覚めたのですが、地震や火災だったら逃げ遅れてしまうかもしれません。
翌朝、車を走らせると道路には枝葉などが散らばり、平岡では10メートル以上ある庭木が4本、お隣の屋根に倒れこんでいるお宅もありました。
4年前の9月11日の豪雨災害では、厚別川が増水し、携帯電話の緊急速報メールで起こされました。
避難所になっていた有明、清田、真栄小学校に足を運びました。有明では川の氾濫で橋が決壊し、住民の方が困っていました。要望をきき、その対応にあたり、土木センターと業者のご尽力で大きな被害を食い止めることができました。
1曰は防災の日です。95年前の9月1日に関東大震災が発生しましたが、この震災に乗じた直後の朝鮮人虐殺は忘れてはなりません。「朝鮮人が放火をして暴れている」などとデマが流され、朝鮮人とわかれば殺害されるというおぞましい事態を招きました。
災害が自然によっておこりますが、その災害の被害を最小限に食い止め、住民の暮らしや生業(なりわい)を守るのが、政治に求められています。
(9月5日記)

金網の向こう

沖縄でフェンスがちらつき目をそらし海を見つめる観光客は(神奈川県・桐蔭学園中学校2年)小林沙葉
朝日新聞社短歌コンクール「8月の歌」【中学・高校の部】優秀賞受賞作です。
先日のバス停での宣伝行動は、「平岡5-4」。自転車通学の高校生が、軽やかに通り過ぎるそばで、朝のご挨拶をさせていただきました。
行動の後、森を愛でてきました。
カラ松やミズナラ、シラカバの樹林の懐にある池は、空の光を映しだし、数羽の鴨が水面を滑るように浮かんでいます。

森の奥には枝に佇むアオサギの姿がありました。
ここは元は旧北海道拓殖銀行の所有で、野球のグラウンドやテニスコートがありました。
拓銀の破綻にともなって、旧ジャスコが土地を取得し、ショッピングセンターを建設することになりましたが、住民の要望で池を含む森の半分が殘されたのです。
10年以上前になりますが、「清田区の自然を守る会」は、この問題や「有明産業廃棄物処分場」建設を住民のみなさんとともにストップさせました。
金網の向こうに広がる豊かな自然を前に、ふと沖縄に行ったときの、延々と続くフェンス越しの沖縄の基地を思い出しました。
どちらも足を踏み入れることのできない場所だけれど、何という違いだろう。
(8月29日記)