2019年4月28日日曜日

ふるさとの選挙応援

 平岡公園の梅のつぼみが大きく膨らみ、開花予測が28日と発表されました。

 待ちわびた札幌の花の季節到来ですね。

 21日投開票の沖縄衆院補欠選挙では、辺野古新基地建設ノーの揺るぎない県民の意思が示されました。

 同じ日に行われた統一地方選挙では、ふるさと木古内の町議選の応援に行きました。

 16日朝、地下鉄大谷地駅前から、高速バスに5時間揺られて函館駅に到着。


 渡島檜山地区委員長の車で約1時間、津軽海峡を眺めながら木古内に向かいました。

 木古内町は、10議席に対し11人が立候補。共産党の相沢さん以外は全員無所属です。


 相沢巧候補は、木古内小時代、一時期、私と同じクラスだったことが、今回話して初めてわかりました。


 私は4日間アナウンサー。生まれ育った場所、今は更地になっているのですが、その近所を通るときはマイクを持ちながら、チラチラ横目で見ながら、懐かしい思いもしながら故郷の町を走りぬけてきました。



 最終日の昼食に、相沢さん宅の近くで採った三つ葉のおひたしが食卓にのりました。

 私は小学校5年生まで木古内で育ちましたが、三つ葉が大好きでした。55年ぶりの故郷の春の味覚をかみしめかみしめ、頂きました。

 相沢さんは2期目の当選を無事はたすことができ、喜んでいます。

(4月24日記)

2019年4月20日土曜日

当選から1週間

 「やったー。当選だ」と歓声をあげてから1週間がたちました。
 「良かったねーと」訪れる人の顔もだんだんと少なくなり、選挙事務所も二日後には閉鎖します。

 お散歩の途中に顔を出す人、叱咤激励に訪れる人、そしてビラ折や電話での支持依頼、選挙カー要員のみなさんの顔や姿が、現れては消えていきます。
後援会の方から贈られた千羽鶴は今も吉岡事務所に

 老人クラブの例会では、次々と「良かったねー」の握手。春の日帰り旅行は「道議会と市議会の見学」をすると決まりました。

 13、14日は区内13か所で宣伝、随所で声援がかけられました。
後援会のみなさんと宣伝する吉岡市議(中央)

 訪問の中では地域の要求も出されました。

 今まではなかった「当選証書授与式」、「写真撮影」も体験。当選証書は得票順で、私は3番目。今回の写真は寝癖直も克服し完璧(のはず…)。

議員写真撮影会の会場


当選証書を受け取った吉岡市議

 明日から4日間は、私の故郷、道南の木古内町議選の応援に行きます。

木古内町へ向う途上での風景

 今月までという「赤旗」読者の方も多いのですが、7月には参院選があります。市議会のご報告もしたいですので引き続きのご購読を、ぜひぜひお願い申し上げます。

 ゴールデンウィークは、書類整理や庭の手入れ……。

 選挙直前に39才の誕生日を迎えた娘に、ふた月遅れのバースデーケーキを送りましょうか。
(4月15日記)

2019年4月14日日曜日

16年ぶりの党の議席

 7984人の支持を得て、3位当選!

 ついに、清田区の議席奪還を果たしました。
 
当選を喜ぶ吉岡ひろ子さん(前列右から2番目)と支援者のみなさん

 清田区で党の議席を失って16年、私が立候補を決意して12年7カ月、多くのみなさんから応援して支えていただいたことに、感謝の気持ちでいっぱいです。
 
 選挙カーの乗員や、先導車の運転手、炊き出し、ビラ折り、ビラまき、支持依頼をする、演説を聴きに来る人や、手を振り声援してくれる人など、どれ程のみなさんから支え励まして頂いたでしょう。
選挙最終日、清田体育館前での街頭演説での吉岡市議候補

 今回は地元の老人クラブなど、初めて支援してくれた方々から、大きなお力をよせて頂きました。

 私は渡辺市長候補と共に「1000億円道路より命、暮らし第一の市政」を基本に、「子ども医療費中学卒業まで」を政策の第一に掲げ、子育て支援の充実、「特別養護老人ホーム増設」で老後安心など、みんなが笑顔で暮らせる街づくりを呼びかけました。
渡辺たつお市長候補(中央)と吉岡市議候補(右端)。左端は応援弁士の佐藤博文弁護士(美しが丘フードD前)

 地震で被害が大きかった地域では、震災直後に訪問し伺った方々を胸に、選挙カーからご挨拶。9日間で、区内185カ所で演説をさせて頂きました。

清田区西友前交差点で第一声をあげる吉岡市議候補

 8日の報告会では100人が参加し、みなさんの喜びが爆発したようでした。


 今朝は平岡後援会の報告宣伝に参加。通り過ぎた通勤途中の男性の、はじけるような笑顔。さあ、これからが正念場です。
当選後、平岡後援会のみなさんと宣伝する吉岡さん


(4月10日記)