2020年4月16日木曜日

評伝『西田信春 -甦る死』

 新十津川にある札沼線廃駅跡の「西田信春小公園」には西田信春の記念碑があります。

 1903(明治36)年、新十津川村で育ち、札幌一中(現南校)から東京帝大に進み、学生団体「新人会」で農民運動に傾倒し、卒業後は組合書記に。1929(昭和4)年日本共産党に入党します。

 九州の共産党組織の再建活動中に検挙され、1933年2月11日、福岡署で虐殺されました。多喜二が虐殺された9日前のことでした。

 今年、西田信春の命日である2月11日に『西田信春 ‐ 甦る死』が刊行されました。
上杉朋史 著『西田信春ー甦る死』学習の友社

 評伝を書いた元高校教師の上杉朋史さんは、新十津川出身の両親の祖先について調べる中で、非業の死をとげた西田信春の存在を知り、亡くなる直前まで執筆しました。

 特高警察の研究で知られる小樽商大の荻野富士夫名誉教授は、「上杉さんは、自身を駆り立て、西田の魅力的な人間性と非業の死を、今の時代に甦らせる事で、現代の危機感を訴えずにはいられなかったのではないか」といいます。

 本の最終章、当時の「死体鑑定書」が圧巻です。

 「足を持って階段を上から下、下から上へと4~5回やったら死んだ」と警察官から聞いたとする医師の証言も記録されています。

 「死体鑑定書」の記録こそが、西田信春の拷問による死を証言したのです。

 (4月14日 記)