2012年8月9日木曜日

慰安婦問題「世界同時水曜デモ」

 機会があったら、慰安婦問題解決を日本政府に求めている水曜デモに参加したいと思っていました。
 
 きのうの夕方6時大通り公園3丁目に集まりました

 4丁目では消費税増税反対の怒りの行動に集まっている姿も見え、司会の方が「4丁目でも私たちのが仲間が行動しています」と紹介。

 市議会から3会派の議員が挨拶。共産党は小形市議が挨拶をしました。

 私は早く着いたので、旗を持って、最後まで出る限りの大声で「日本政府は慰安婦被害者に謝罪しろ」
「日本政府は慰安婦被害者に賠償しろ」

「日本政府は韓国政府と交渉せよ」
「戦争と性暴力を許さないぞ」などのシュプレヒコールをして行進しました。

 おとなりの78歳の男性は北海道新聞を見て参加した、といっていました。

 ちなみに私は共産党道委員会発行の「ほっかい新報」で知りました。




←小形市議

2012年8月7日火曜日

灯籠流し

 きのう、清田区9条の会で灯籠流しをしました。

 読み聞かせやうたごえをしたあと、ご近所の子どもたちに点火してもらい27基の灯籠を流しました。

 清田区9条の会としては2回目の取り組みですが、少しづつ地域のなかに広がってきているのを感じました。

 やわらかで幻想的な灯籠の灯りを見ながら、「命こそが何より尊い」ことが実感できる社会を――の思いが胸に広がりました。 






2012年7月26日木曜日

アレンネルソンさんをしのぶ会

 21日にアレンネルソンさんをしのぶ会を、清田区9条の会連絡会で催しました。

 五年前にアレンさんを迎えて取り組んだ『平和のつどい』で通訳をしてくれた影山あさ子さんがDVDによる映像とトークをしてくれました。
 
 故アレンさんの自宅でのインタビューでは、あまりにも生々しいベトナム戦争での体験に吐き気をもよおし、ようやくの思いで映像を見ることができました。
 
 米海兵隊の新兵訓練所である、ブートキャンプの映像は目に焼き付いています。
 
 まだ少年の面影をのこしている隊員が2週間の訓練期間に個性や人格を奪われ絶対服従の海兵隊の人殺しマシーンに仕立て上げられるのですが、丸坊主にされるシーンがありました。

 バリカンで頭髪を刈り込められたその瞬間、黒人の青年の頬にひとすじの涙が流れました。

 私の耳に青年の心の叫びが聞こえたようで、我が子の叫びが聞こえたようで、それは人間として申し訳ない気持ちが胸いっぱいに溢れました。
 
 2010年まで札幌在住していた、アレンさんの友人でもある山本光一牧師から、花束とメッセージが届きました。

 
 
 
 

2012年7月11日水曜日

7.6 道庁前で「原発 反対」

  7月6日金曜日、道庁前で、原発再稼働の抗議集会があり参加しました。

 老若男女800人が「原発ノー」の思い込めて6時から8時の2時間、シュプレヒコールやスピーチ、歌あり太鼓ありの若ものの元気あふれる行動に感動してきました。
(←始まってまもなく) 
 千葉県から避難してきているはつらつ美人ママと小2の親子と「来週また会おうね」と嬉しい約束までしてきたりして。

(←暗くなってもみんな明るく)
 しかし、さすがに疲れたわ――今夜もダンベルで筋力きたえます。

2012年6月30日土曜日

ブログ再開~女性後援会のつどい

 ブログの調子が悪くてしばらく更新できなかったのですが、直してもらって無事投稿しています。
 
 きょうは女性後援会のつどいで、共産党の「消費税」の提言を学習し、その後西友前でにぎやかに宣伝しました。

 民主党の「公約破り」と民主、自民、公明の「増税談合」への怒りや、20万人もが参加した大飯原発再稼働反対の首相官邸前の集会への感動で、元気よく宣伝しました。

 私が情勢と「提言」について説明しましたが、不十分ですみませんでした。

 とにかく、ブログの問題が解決して良かった――!

2012年6月15日金曜日

感動の映画 『道 白磁の人』


昨日時間がとれたので、映画を観てきました。
日本が朝鮮併合したのちに、林業技師として朝鮮に渡り、40歳で亡くなり、自らの意思で朝鮮の土となった、実在の浅川巧さんをモデルに作られた、日韓合同の映画です。
期待を遙かに超える、今年一番の感動映画でした。
下の写真は、地下鉄美園駅近くでアスファルトに溜まった水を飲んでいたからすです。

2012年6月2日土曜日

第31回豊平区清田区母親大会




  ライラックの花咲く今の時期に開いている豊平区清田区母親大会が、きょう6月2日の午後月寒公民館で開かれ、50人くらい(?)がつどいました。
 わたしは母親大会のキャッチフレーズ「集まれば元気、語れば勇気」が好きです。
 「税と社会保障・消費税」を柱にした高崎裕子さんの講演、やっぱり最後は胸を熱くさせられました。
 高崎さんを国会に送り出した1989年の参院選挙では、高崎さんの演説で、3人の子どもを残し餓死したお母さんの「許しておくれかあさんを……」のくだりで何度も何度も涙と怒りで、37歳の子育て真っ最中の私は、胸を熱くしたものです。
 わたしは共産党の豊平清田南地区を代表し、わずか5分間だけれど、連帯のあいさつをしました。友人からの大切な贈り物のネックレスやスカーフを身につけ少しおしゃれもしてのぞみ、緊張はしましたが無事終えてホツとしています。